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OB会NEWS

Vol.5


2月25日
 
当校ラグビー部創始者の池田正徳先生(現在福岡県在住)です。池田先生は日本ラグビーフットボール協会の初代レフリーソサエティー委員長です(写真提供:法大ラグビー部OB 元NTT九州監督・福崎誠司氏 今年のお正月の画像とのことです) 60周年パーティーの際に九州からご参加いただきましたので覚えていらっしゃる方も多いと思います。昭和23年、当校ラグビー部創部に当たり、多大なるご尽力頂いた池田先生ですが、いつまでもお元気な姿は嬉しいものです。40周年記念誌(S63発行)に創部のエピソードがありますので、ご紹介します。
(米本前会長より提供)。

 

 

「創立当時の想い出」                   2代目 遠藤 幸雄

 池田正徳先生(東京教育大OB、現成蹊大学教授)が、我々の体育教官として初めて授業を受け持たれた時、その太い脚に皆びっくりした。「先生、何をやっているのですか」と尋ねると「俺はラグビーをやっているんだ、今度慶応と試合をするから見にこないか」と言われたので、富山・渡辺達と5人位で神宮へ出かけた。接戦の末、教育大は惜敗したが、我々は初めて見たラグビーにすっかり興奮してしまった。
 ラグビー場といっても、最近の立派な設備の整ったそれとは比べ物にならない、お粗末なものであった。グラウンドの両側に土手を作り、そこで立って見学したのである。
 その時、大田・角田・長浜氏達も見学に来ており、「今度、ラグビー部を一緒に作って一緒にやらないか」と相談を受け、「やりましょう」とその場で意気投合したのが、法政一高ラグビー部創立のキッカケ≠セった。
 体の丈夫そうな奴をつかまえてはスカウトし、20人位の人数で正式に発足した。ジャージもスパイクもなく、汚いセーター等を着て、裸足で練習を始めた。城北高校との初試合はこのようなスタイルでのぞみ、90点以上の大差で負けた。大田さんを初代主将として、常にギリギリの人数で練習、試合をしたが、不運にも国立高校、成蹊高校等に11連敗を重ねた。
 一高ラグビー部の輝かしい初勝利は、翌年9月の国体予選で海城高校に9対3で勝った時である。二代目として満足なことも出来なかったが、横河電機など社会人チームと試合をして、痛い目に合った思い出もなつかしい。我々の代は勝率は5割くらいだったが、中学生の吉田・沖田・石井君等が可愛い顔をして、走り回っていたものである。
 大田氏が青竹を持って、どなりながら追いかけ回していた頃の姿を、なつかしく思い出す、この頃である。